愛することは、何があっても信じ抜くこと
今日の記事は自分自身に対しても書いています※別になんかあったわけじゃないです笑
あなたには愛する人がいますか?
考えたのですが愛することって、信じ抜くことだと僕は思います。
好きと愛するは違う
好きって、自分が満たされたい、満足したいって気持ちが非常に強いと思います。
例えば「あそこ行きたいから、一緒に行こう!」「あなたといたいの、離れたくないの!」といった、自分のカゴの中に入れておきたい感情に近い。
何だろうな、相手の気持ちを考えていない、自分主体の感情が大きいです。
それに対して愛しているっていうのは、相手から見返りを求めず、満たしてあげる。
できることをし、相手の幸せを祈り続け、見守り続けることじゃないかなと。
好きという感情を否定しているわけじゃない。
ただ、好きと愛するの感情は違うんだってこと。
だから、目の前の人を冷静に見たときに、
「自分はこの人のことを本当は好きなのか?愛しているのか?」
を冷静に分析することが大切だと思います。
好きから愛する感情へ
好きは相手に求める感情が強いため、求めすぎると相手はいつか疲れてしまいます。
「あなたのため」この言葉は本当は「自分のため」なのではないか?
ここを冷静に考え、接するようにすべきだなと。
だから好きから愛するに変えていきたいのであれば「求める」ことから「与える」ことに自分自身の心を変えていくべきだなと思います。
「見返り」を求めず、「与える」ことに力を注げば、きっと相手も変わってきます。
で、ここで相手が「与えられる」ことに当たり前な態度をとりだしたら、様子を見て、今後も関係を継続すべきか決めるべきだと思います。
相手も「与える」ことをしてくれている、と自分が感じるのであれば、ずっといい関係を築け幸せになれると思うので、今後のことを前向きに考えるべきだと思います。
相手を愛しているのか知るには?
夜寝るとき、朝起きたとき、相手のことが1番に頭に出てくるのであれば、それは愛だと思います。
たとえ別れたとしても、相手が幸せになれることで自分が喜べるのであれば、それは愛だと思います。
相手が近くにいても離れていても、相手の発言、行動を信じぬけるのであれば、それは愛だと思います。
僕自身、若輩者なので「愛の定義」がふやふやしており、こんな記事を書くべきではないのですが、なんか今自分の「愛の定義」を確認しておきたくて書いてみました。
今の僕の中で一番の「愛する定義」とは、やはり信じ抜くことかなって思いました。
僕自身相手を信じることしかしないので、やはり僕の中では信じ抜くことが一番の愛じゃないかと。
信じることはもちろんですが、信じてもらうことができているのかどうか?
信じてもらているのか?信じてあげているのか?
近くにいても、離れていても、信じあえる関係をしっかり作っていきたい。
人は傷つき、また、誰かを傷つけながら生きていくもの。
だから自分自身信じてもらえるように、見返りを求めない「与える」ことに力を入れていきます。
見返りを求めない「与える」ことを行っていけば、誰しもが今以上に愛しあえる関係になれると信じています。
見返りを求めないでも「与えたい!」って思える人が1人でもいることが幸せなことでしょ。
愛しているならこそ、いろいろ考えることってあります。でも、愛しているからこそ、信じなきゃ☆
そして、なにより大切なのは信じてもわなきゃ!
心はずっとつながっている。
最後までお読みいただきありがとうございました。
まだまだ人生探検中!
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