「学問の神様」菅原道真公が祀られている太宰府天満宮に行ってきました。
福岡県太宰府市にある神社として日本でも大変有名な「太宰府天満宮」
学問の神様として親しまれている「菅原道真公」がまつられており、毎年受験合格、試験合格を祈願される人たちが全国から訪れるパワースポットでもあります。
そんな「学問の神様」菅原道真公が祀られている太宰府天満宮に足を運んできました!
神社の楽しみ方、お参りに仕方ってちゃんと歴史や背景、礼儀作法があって、今までよく分からずに行ってました。今回は自分なりにざっくりとですが調べた太宰府天満宮での歴史と楽しみ方を書きましたので、読んでから足を運ぶと、きっと10倍楽しむ事が出来る!と、思います(多分)
「学問の神様」菅原道真公が祀られている太宰府天満宮とは?
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市にある神社。
旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は梅紋である。菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。
初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上の参詣者がある。現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。
wiki参照
■所在地
〒818-0117 福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
ホームページ http://www.dazaifutenmangu.or.jp/
太宰府天満宮の歴史
菅原道真公が845年に京都で生まれ、903年に現在の太宰府政庁の南館(現在の榎社)にて生涯を閉じました。門弟である味酒安行が菅原道真の亡がらを牛車に乗せ運んでいた所、牛が伏して動かなくなってしまい「これはきっと菅原道真公の御心によるものであろう!」と、菅原道真公の亡がらを移動する事をやめ、現在の太宰府天満宮の場所に埋葬されました。
そして、905年。
菅原道真公のお墓の上に祀廟(しびょう)が建られ、919年には社殿が建てられました。現在全国約12000社あると言われている天神様をお祀りする神社の総本宮と称えられいます。
「神になった男」菅原道真公とは?
菅原道真(すがわらみちざね/みちまさ/どうしん)
845年8月1日生〜903年2月25日没
「道真公」「菅公」「天神様」とも呼ばれ親しまれいる歴史好きには大変有名な偉人でして、「学問の神様」として現存の人間が神様になった、まさしく「神になった男」と有名な方です(なってみてー)
平安時代の貴族であり、学者、漢詩人、政治家でもありました。
幼少より大変勉強熱心な人物で、時の皇太子の教育係を勤めていた菅原道真公の父親の跡を継ごう!と勉強にいそしんでいた所、ついには宮中入りをしてしまう超がつくほどの「勉強家」でした。
勿論、宮中入りを果たした後も勉強家であった菅原道真公は昇進を重ね、当時の藤原家トップの藤原時平に次ぐ右大臣の位を得るまでにいりました。
しかし、藤原時平を含めた有力貴族達が地方分権を望んでいた中、それに反発するかのごとく「天皇を中心とした中央集権体制」を菅原道真は説いていたため、面白くないと思いはじめた藤原時平をはじめとする有力貴族たちは、身に覚えの無い罪を着せ、菅原道真を京都から九州・太宰府(現在の福岡県太宰府市)に901年流刑。
哀しみに明け暮れた菅原道真公は、その2年後の903年に亡くなります。
そして遺体は太宰府の安楽寺に葬られる事に。。。
気に入らないから濡れ衣着せて追い出すって相当ヤクザな事してますね((震))
「天神様のお怒りじゃ」と亡くなってから天罰を下す菅原道真公
勿論、この話にはオチがあり、このまま残った人間達が幸せになれるはずはありません。
菅原道真公が亡くなった後、藤原時平が急死。この急死をキッカケに、時平のまわりにいた人達が同じく急死したり、醍醐天皇も崩御されるなどの凶事が相次いだ事から「菅原道真公の怨念の仕業」との噂が立ちました。
そして藤原時平が亡くなった後を次いだ藤原忠平は、元々菅原道真公に対し好意的であったため、菅原道真公が亡くなった後に、当時の藤原時平を上回る正一位太政大臣の位を与え、最終的には京都府北野に藤原道真公を祭った北野天満宮を建設、亡くなった安楽寺のある安楽寺天満宮(現在の太宰府天満宮)を建設しました。
実は建設当初「雷神・道真公を沈めるため」に建設された太宰府天満宮
藤原時平を中心とした関わりのあった人たちがそろって災いを受けた事から、世間は菅原道真公を「雷神」と呼び、身に覚えの無い罪を着せられ流刑にあった雷神・菅原道真公の怒りを沈める為、太宰府天満宮が建てられたとも言われています。怖い。。。
学問の神様、菅原道真公は魔法使いだった?「飛梅伝説」
901年に左遷された菅原道真公でしたが、故郷である京都を離れる際に、こんな有名な詩を残しました。
東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春なわすれそ
主人である菅原道真公が京都からいなくなった梅は寂しく思ったのか、菅原道真公が福岡県太宰府市に着いた所、1夜にして菅原道真公の元に飛んでいったと言われています。
実際の所は、白太夫という人物が菅原道真公を慕っており、この白太夫氏が菅原道真公を太宰府まで追っかける際、京都の菅原道真公の邸宅(自宅)に寄り、奥さんの手紙とともに邸宅の梅を根分けして持ってきてくれたそうです。菅原道真公は喜び、その事実を伏せて、
「梅が飛んできた!」
という事にした、とも言われています。
その飛んできた梅は、現在本殿横の場所に移されているそうです。
なんと素敵なストーリー涙
勉強家「藤原道真」は死後、学問の神様と呼ばれるように。。。
勉強家だった藤原道真は、生前の努力あっての昇進ストーリから、時が経つにつれ「雷神・菅原道真」の呼び名から「学問の神様・菅原道真」と変わっていき、崇拝されるようになっていきました。
実はこのような形で実在していた人物が死後、「神様」としてまつられる例は日本では初めてのことで、日本版「関羽」とも言われています。
太宰府天満宮の門前町も賑やかで面白い!
大きな駐車場から歩いて太宰府天満宮に着くまで、まず最初に門前町が出迎えてくれます。
太宰府お店マップ参照
おお!これが噂の「梅ヶ枝餅」
太宰府天満宮に来たら必ず食べるべき名物と言われています。
調べてみると、「梅ヶ枝餅」をいただけるお店がいくつかあるとの事で、今回はここのお店ではいただきませんでした。
ここが太宰府天満宮に一番近い駅「太宰府駅」
大きくて立派です。
ちなみに福岡県の中心地である天神駅から太宰府駅まで30分程です。
ここが太宰府天満宮門前町。
外国人観光客が大喜びなのもうなずける「THE 昔の日本」
門前町に足を踏み入れた途端に雰囲気に引き込まれます。
太宰府天満宮と言えば名物「梅ヶ枝餅」!
先ほどの梅ヶ枝餅が食べたくなったので「松屋」さんの梅ヶ餅をいただく事に。
工程を店内で観る事が出来ます。
できたてホカホカの梅ヶ枝餅!
梅ヶ枝餅の説明を忘れていましたが、梅ヶ枝餅は太宰府天満宮がある太宰府市で販売されている餅菓子。生地の薄い餅でたっぷりの小豆餡をくるみ、梅の刻印(焼き印)を入れて鉄板で焼く餅菓子が梅ヶ枝餅です。
薄皮を焼いてあるので、サクッとした食感ながら中のアンコがあっつあつで、ハフハフ言いながら食べてしまいます。
太宰府天満宮門下町で有名な「日本にひとつしかない」スターバックス?
2011年12月16日金曜日にオープンした「スターバックス太宰府天満宮表参道店」。建築家として有名な隈研吾氏が設計した店舗でして、このスターバックスは、他の店舗と違い太宰府天満宮門下町の雰囲気を損なわない作りにする為、ある工夫がされています。
2000本の杉の木を使用し、釘を一本も使っていないスターバックス太宰府天満宮表参道店
2000本の杉の木を使い、店頭から杉の木で覆われているデザインに圧倒されつつも、釘を使用していない作りに驚かされます。ちなみにテーブルや椅子にも釘を使用していないとの事で「太宰府天満宮の歴史ある雰囲気をこわさないため」だそうです。
うーん、すごいこだわり。
外国人観光客もみんな写真を撮っていました。そりゃそうだ。
門下町、スタバを抜け、そして太宰府天満宮宮内へ!
宮内は素敵な木々で溢れています。
先ほどご紹介した「飛梅伝説」流れから、実はこの素敵な木々のほとんどは「梅」でして、宮内にはなんと6000本の梅が植えられているとの事。すごい!!
2月上旬〜3月中旬になると、6000本の梅が咲き、太宰府天満宮宮内を彩るそうです。楽しみだなあ〜
太宰府天満宮の「心字池」に掛かっている橋「太鼓橋」
この橋は「太鼓橋」、池は「心字池」と言われています。
この神池は「心」という文字をかたどっている池でして、太鼓橋と直橋の3つの神橋は仏教思想で言うところの「過去、現在、未来」といった三世一念の相を表したものであると言われています。
この神橋を渡る事により「過去、現在、未来」の三世の邪念を祓う事が出来るとも言われており、参拝者の身を清める為の橋とも言われています。
心字池には鯉がたくさんおり、みんなえさの「麩」?を食べてます。
太宰府天満宮の本殿が見えてきました。
鳥居をくぐった右側には「手水舎」と呼ばれる、手と口を洗い清め心身を綺麗な状態にし、穢れをお祓いする禊(みそぎ)を行う事が出来る場所があります。
手水舎で行う「手水」の作法
写真を撮るのをわすれてしまいましたが、手水舎での「手水」での禊には作法があります。覚えておくと太宰府天満宮でのお参りを10倍楽しむ事が出来るでしょう。
①柄杓(ひしゃく)を右手に持ち水を汲み、左手を洗います。
②柄杓(ひしゃく)を左手に持ち替え、柄杓に残った水で右手を洗います。
③もう一度柄杓(ひしゃく)を右手に持ち替え、左の手に水を受け、その水を口に含んですすぎます
※この時の注意として、柄杓に口を付けたり、水を飲んだりしてはいけません
手水舎で清めた後は、太宰府天満宮ご本殿で拝礼をしよう
ついに太宰府天満宮のご神前(ご本殿前)でお参りです。
ご神前の中央の通りは「正中(せいちゅう)」と呼ばれており、神様の通る道と考えられています。ですので、騒いだりふざけたりといった行動発言は慎み、手水舎でせっかく清めたので、清らかな心のままでお参りをする事をお勧めします。
太宰府天満宮での拝礼作法
これも写真を撮っていないので、流れだけお伝えしておきます。
ご神前に着いたら、「二拝二拍手一拝」の流れです。
①姿勢を整え、90度の会釈(お辞儀をする礼)
②二拝 直立の姿勢から90度に腰を折り、二度お辞儀をします。
③二拍手 胸の前で両手を合わせ、二回拍手。手を合わせたまま、日頃の感謝の気持ちをお伝えするとともに、様々なお願いごとをお祈りする
④一拝 両手をおろし、もう一度お辞儀をします。
⑤最後に軽く会釈をします。
これが太宰府天満宮ご神前での作法です。
スタバに梅ヶ枝餅。これで10倍楽しもう!福岡県太宰府市の太宰府天満宮の楽しみかた
上記の流れで楽しんでいただくと、丸1日太宰府天満宮を堪能する事が出来ると思います。中には食事処もたくさんありますので、是非自分だけの太宰府天満宮の楽しみ方を見つけていただければと思います。
受験祈願、就職、転職祈願は是非福岡県太宰府市にある、「学問の神様」菅原道真公の眠る「太宰府天満宮」へ楽しみながらお参りしましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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